式内 印岐志呂神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 印岐志呂神社
読 み いきしろ
式内社 近江国栗太郡 印岐志呂神社

所在地 滋賀県草津市片岡町245
御祭神 大己貴命 〔配祀神〕国常立尊

御神紋 左三ツ巴
例祭日 5月3日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
栗太郡 8座 大2座 小6座

近代社格制度 旧県社
創建     年代不詳
本殿様式   一間社流造

境内摂末社(祭神)

二ノ宮神社 三ノ宮神社 樹下神社 若宮神社 稲荷神社 恵比須神社 奥御前神社
(飛地境内) 小安羅神社 日吉神社 大将軍神社 安羅神社 八幡宮 樹下神社 春日神社 大将軍神社 若宮神社 天満宮 天満神社 天満神社

文化財

本殿 国指定重要文化財
木造普賢菩薩坐像 一躯 県指定文化財
志那神社宝塔 市指定文化財

一口メモ

三大神社から琵琶湖畔方面に北西へ。琵琶湖の南東に広がる草津市の平野部、条理制による碁盤の目のような田園地帯に草津市志那町の各集落に式内意布伎神社の論社が3社ある。郷社惣社神社があり、同じ志那郷内の村々の神社だったようだ。

大宝神社境内社 追来神社 素盞嗚尊 栗東市綣7丁目5-5
三大神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町309
志那神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町727
郷社惣社神社(意布伎) 草津市志那中町238

歴史・由緒等

創祀年代不詳であるが、天智天皇の勅願により大和国三輪大社から分祀されたと社伝にある。延喜式神明帳栗太八座の一で、用明天王即位二年夏悠紀地方に定められ、印岐志呂と名付けられたことをもって社名にしたと伝えられる。
社伝に仁寿元年神位正六位に、また元慶元年正一位を授けられたとある。
永暦年中源義朝尾州攻略のとき頼朝の武運を祈願し、建久元年に頼朝この報賽のため神殿と神田を寄進された。建武三年正月比叡山僧宥覚が山門一千余を率いて足利軍高師直と戦った時、更に同年九月脇屋義助が延暦寺の山徒と共に尊氏の将京極道誉と戦って戦場となり社殿は勝亡したが、後足利氏によって再建された。
社殿棟札によると織田信長が佐々木攻めの時再び戦場となり社殿炎上したが、慶長四年に芦浦の観音寺詮舜が再建している。その後観音寺長賢も社殿を修理し、寛永六年社殿を再建した。今の社殿は寛政四年観音寺慈観が造営したものである。
明治九年郷社に列し、大正六年県社となる。
同七年神饌幣帛料供進指定。

『滋賀県神社庁』

境内・社叢


鳥居

  
注連柱                     社号標

  
神橋                      手水舎

  
狛犬

  
神門                      拝殿

  
中門・玉垣                   本殿

本殿左手に三ノ宮神社、十禅師社、若宮があったらしいが気づけなかったのが残念


稲荷神社


由緒案内板

地名・地誌

地 図

滋賀県草津市片岡町245

交通アクセス・周辺情報

参 考

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